Tahitian dance

タヒチの文化

タヒチの文化について

タヒチは、ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結んでできる三角形「ポリネシアントライアングル」の中心にあります。14世紀頃までにはできあがっていたとされているこの一大ポリネシア文化圏は、タヒチから海を渡った人々によってつくられてきました。

ここからもわかるようにタヒチは非常に歴史深い文化があり、伝統的なダンスや音楽もタヒチ旅行に行った際の見どころのひとつです。タヒチの文化を知っておくと、旅行などで足を運んだ際に、更にタヒチを楽しめるでしょう。

そこでタヒチを120%楽しむために役立つ伝統文化や歴史、タヒチアンダンス、芸術、音楽、タタウ(タトゥー)についてご紹介します。

伝統文化

タヒチには数多くの伝統文化があって、今も受け継がれています。

例えばカヌーもそのひとつ。タヒチには小さな島が点在していて、昔から島と島を移動するのにカヌーは欠かせないものでした。現在でも生活の一部としてカヌーが用いられているほか、観光でも活躍しています。
また世界最大・最長の国際的なカヌーレースも、タヒチのお祭りの中で行われているのです。

樹皮を叩いて作る不織布の「タパ」もタヒチの伝統文化として伝わっています。これは布がなかった時代に服を作るために使われたもので、宗教儀式にも使われていたものです。

タヒチの伝統文化は、伝統工芸品にも見られます。例えば手編み工芸や編み細工(ナティラア)は自然繊維を使用することにより、温かみのある美しい工芸品を今に伝えています。帽子やカゴのほか、敷物など、実に様々なものがこのナティラアと呼ばれる手編み工芸で作られているのが特徴です。

「ティファイファイ」も美しいタヒチの伝統工芸品として伝えられています。ティファイファイはハワイアンキルトのルーツともされているほど昔からあるものなのですが、現在も現地では日常的に使われているのです。

このように実に様々な伝統文化があるため、お土産物屋さんに足を運んだらぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。

歴史

ポリネシアに最も早く住みついたのは、ラピタ人と呼ばれる人々だとされています。ラピタ人は紀元前1000年頃までにはカヌーを用いて辺境のポリネシアにも到達し、島々を開拓していったのです。

16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ諸国の船がタヒチの海域を航行するようになりました。その後タヒチは「伝説の大陸」や「巨万の富がある大陸」として語られていたこともあり、ヨーロッパ人やフランス人が次々と訪れます。

そんな中でイギリスの宣教師団やフランスのローマン・カトリック宣教師団が訪れるのですが、彼らがポリネシアの信仰を非難したこともあり、ポリネシアは徐々にキリスト教化されていきました。

その後の1793年に始まったポマレ王朝が王国として樹立したのは1979年のこと。それからポマレ王朝による支配が続くのですが、タヒチ国王ポマレ5世による主権譲渡宣言によってフランスに植民地化されることになります。
これによりタヒチでの生活様式は大きく制限され変化していくことになるのです。

しばらくしてからタヒチはフランスとの戦争に勝利し、フランスの保護国となりました。それから長きにわたりタヒチを支配していたポマレ王朝は終焉を迎えることとなり、タヒチはフランスの海外領土に昇格、「フランス領ポリネシア」と改名され、今に至ります。

タヒチアンダンス

タヒチに伝わる伝統的な踊り「タヒチアンダンス」は、フラダンスの起源となったダンスです。

タヒチアンダンスはタヒチの人々にとって幼い頃から慣れ親しんでいるもので、生活の中にも溶け込んでいます。

観光客にとっても身近なものであり、タヒチの様々なホテルで夜になると響いてくる太鼓の音はタヒチアンダンスショー始まりの合図です。

そんなタヒチアンダンスの種類は主に2つ。
ウクレレやトエレと呼ばれる伝統打楽器の演奏とともに踊る「アパリマ」は、手の動きによってタヒチの神話や歴史を表します。

「オテア」と呼ばれる種類のダンスは、トエレの激しいリズムとともに踊りを繰り広げるのが特徴。男性だけ、女性だけ、男女で踊る3種類のダンスがあります。
他にも、ヒヴィナウ、パオアと呼ばれる種類のダンスもあり、どちらも伝統的です。

もともとタヒチアンダンスは「アリオイ」と呼ばれる集団が神「オロ」への信仰を伝えるために行っていた宗教儀式のひとつでした。ですがタヒチがキリスト教に改宗する際に裸に近い姿で踊ることが宗教上好ましくないとされ、禁止されてしまいます。
それでも伝統を守り続け、今にも引き継がれている歴史深い伝統だといえるでしょう。

芸術

タヒチの芸術を語る上で欠かせない存在が、フランス出身の天才画家「ポール・ゴーギャン」です。タヒチを愛した芸術家としても知られており、タヒチにはゴーギャンの絵画を複製した作品が展示されている記念館も存在します。なお、こちらは現在閉館中です。

少しゴーギャンについてご紹介しましょう。
画家として生きることを決めたゴーギャンはタヒチに渡り、パペーテでしばらく暮らしたあと、マタイエアに転居して作品作りに没頭します。しかし作品を販売するためパリで開いた個展は不評に終わってしまうのです。

その後、再びタヒチに戻ったゴーギャンは、彼が生涯を閉じた島であるヒヴァ・オア島に移り住み、創作を再開させました。作品が思うように評価されない中で苦悩を重ねていたゴーギャンですが、愛娘の訃報が届いたことをきっかけに打ちのめされ、代表作でもある「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を完成させてから自殺を図ります。
これは未遂に終わったものの、1903年には心臓発作で死去してしまうのです。

ゴーギャンは今でこそ有名な天才画家であり、世界中に多くのファンが存在しています。しかし悲しいことに彼の作品が高く評価されたのは死後の話。タヒチを代表する画家ともいえるゴーギャンにはこのようなエピソードがあります。

音楽

タヒチはタヒチアンダンスが有名であることからもわかるとおり、音楽を愛している人がたくさんいます。

音楽で使われる伝統楽器としては、日本でもおなじみのギターやウクレレといった弦楽器のほか、トエレ、フェアレテ、スティックと呼ばれるものでパフ(太鼓)を叩く打楽器が代表的です。この他にも竹を割いて作るイハラと呼ばれる打楽器や、ヴィヴォと呼ばれる鼻笛もあり、表現できる音の幅は非常に広いといえます。

ホテルのダンスショーでこれらの楽器を使ったダンスを楽しむこともできますが、本格的に伝統楽器を使ったタヒチの音楽を楽しみたいと考えているのなら、毎年7月に開催されるお祭り「ヘイヴァ・イ・タヒチ」のタイミングに合わせて足を運んでみるのがおすすめです。
このお祭りは伝統文化の一大コンテスト大会でもあります。地元の方はもちろん観光客も含めると非常にたくさんの人が集まり、歌や踊りを楽しめるのも魅力だといえます。特に音楽の面でいうとポリネシア音楽をメインとした演奏が披露されるので、タヒチならではの音楽を楽しむのにぴったりです。

タタウ(タトゥー)

タヒチの島々には古くから「タタウ」としてタトゥー文化が根づいていました。タタウはタトゥーの起源でもあり、デザインごとの意味はタタウの神である「トフ」によって与えられたとされています。

日本においてタトゥーというと、馴染みがあまりありませんが、タヒチでは古くから美しさの象徴や、一人前であることの証とされてきました。また社会的にみても重要な意味を持っていたのです。

 

例えば住んでいる場所や部族、社会的地位をタトゥーで示したり、偉業を示したりするのにも用いられました。

しかしキリスト教宣教師がタヒチに入るようになると、タトゥーは「好ましくない文化」と判断され、禁止・廃止の動きが強くなってしまったのです。

ところが20世紀半ばにはこの風習も見直され、ポリネシア人としてのアイデンティティーを取り戻そうとする動きが強くなりました。これによりタトゥーの存在も再度注目を浴び、昔のように社会的地位を示す目的の他、ファッションとして取り入れている人も多いです。